城咲あい:
「ダンサーとしての生き方」

やっぱり自分は舞台が好きだけど、「宝塚」が好きだったんだなって

――:退団された後に、ディナーショーなどの芸能活動をされた中で、宝塚との違いを感じたことはありますか?

城咲:もともとディナーショーは……わたし、辞めた後に舞台に立つつもりが全くなくて、宝塚で全てを燃やし尽くしたから、もう何もしないってつもりだったんですけど、偶然というか、宝塚でオーケストラをやってるミュージシャンとすごく仲が良くて、で、「一回みんなで仕事をしたいよね」って話をしていて、辞めた後にみんなで仕事しようって言ったら、ミュージシャンがすごい集まっちゃって。人数が多すぎて、舞台もでか過ぎて、すごくドでかいところでやるってなっちゃったんですけど、だからほんとはあれは、最後に自分が頑張ってきた……半分ご褒美だったり、次にこれで自分の芸能生活を終わりにしようっていうためのディナーショーだったんですよ。

城咲:でもあれをやったときに、すごくたくさんの人が応援してくれて、いっぱい手紙をもらって「まだ舞台が観たいです」って手紙をたくさんもらったときに、辞めた後に何するって何も決めずに、「あっ辞めよ」って思って辞めたので……。

城咲:でも「わたしはもう宝塚にいられない」って思ったんですよ。なぜなら、わたしの中で宝塚っていうのは美しくあるべきだから。毎日化粧をして鏡の前にいると、分かるんですよ。自分が人の前に立つのにベストな状態ではもうすぐ無くなってくるなって言うのが。毎日、毎日、同じことしてたら分かるし、落ちてくる前にどうしても辞めたかったし、やっぱりお金を払って見てもらうものだから、みっともないもの、美しくないものは見せられないし。自分が舞台化粧をして、鬘を付けて、衣装を付けて、それで人の前に出れるって思える自信がなくなってきたところは見せたくなかったから、その前に辞めようと思って辞めたんですけど。

――:それが10年目だった……と?

城咲:それが10年目でしたね。9年目のおしまいかな? でも、それは宝塚だからっていうのは一つあって、そこは美しくないといけないと思って。だけど、手紙をいっぱい読んだときに、芸事のお芝居をしたりとかって言うのを見たいって言ってくれる人が、少しでもいるんだったら続けてもいいのかな?って思うようになって、ちょこっと出てみたんですよね。自分としても、女性ばっかりじゃなくて男性が入ってきたときに……、わたし、ミュージカルはやらないって決めてて、普通のストレートプレイ[注:ミュージカル以外の演劇のこと]に出てたんですけど、それがミュージカルでなくてストレートプレイだったり、相手が男性だったときにどんな違いがあるのかなって。自分の中で、それも自分が知りたかったからやってみたんですけど、思ってたほど変わらなかったんですよ。

――:女性と男性の差ということですか?

城咲:やっぱり男性はパワーがあるし、そう言う意味では違うなってことはありましたけど、自分としては、10年間稽古して、小屋に入って、公演してっていうのが日常だったから、その生活が意外と変わらないんだなって思って。相手が男性になっても、芝居をしているときの自分のテンションとか、そう言うのはあんまり変わらないんだなって思って。そう思ったときに、すごく楽しかったし、舞台に立つのは好きだったし、芝居も歌も踊りも好きだったから楽しかったんですけど、ちょっと自分で、宝塚にいるときほど情熱を傾けられない、命を懸けて舞台に立ってないなって感じたんですね。

――:ストレートプレイをやっているときにですか?

城咲:楽しいし、一生懸命やるし、やるときの感覚はあんまり変わらないんだけど、もちろん宝塚のときは仕事だけど、仕事以上の情熱とかエネルギーがあって、そこまでは命を燃やせない自分がいて。やっぱり自分は舞台が好きだけど、「宝塚」が好きだったんだなってすごく感じて、で、それってどうなんだろう?って。いろんなスタンスの役者さんがいると思うけど、わたしは舞台にはそこまでの情熱を懸けて立つものだって、ずっと思ってきたから、なんかそんな自分がちょっと……何というか、許せないというかもやもやしてて、で、そんなときに震災があったんですよ。

――:3.11ですか?

城咲:はい。で、あのときちょうど舞台の稽古をしてて、地下ですごい壁が揺れて崩れてきて、本当に死ぬかもしれないって思って、それの後に「死ぬかもしれない」って普通にあるんだなって思って、辞めた後に……、本当は踊りの先生をやりたいなって夢もずっとあったんですけど、踊ることにあんまり自信が持てなくて。踊りだけをやっていくことに、技術も、人に何かを伝えることも、わたしにはなかなかできないって言うか。

城咲:もともと人になんかこう、こうした方が良いとか、こうしてくださいって言うのがすごく苦手な人間だったので、40才、50才になったらやろうかな?くらいのことを考えてたんですよ。いつかやろう、いつかやろうって。でも、あの震災があったときに、あっ死ぬかもしれないんだ、明日かもしれないし、明後日かもしれないって思ったら、じゃあ10年後にやろうって思っても、やれないかもしれない、だったら失敗してもいいからやろうと思って。で、一回舞台もスパッと全部やめて、踊りのレッスンに通って、自分の踊りの教室を開きました。話がどんどんずれていったけど……(笑)

――:ダンスの話も出ていましたけど、今、宝塚の受験生を教えることはどのように感じてますか?

城咲:もともとは一般の人ばかり教えてて、受験生は教えないつもりでいたんですよ。なぜなら……受験スクールやっている人はすごいなって思うけど、教えたら愛情も湧くし、でも、みんながみんな、受かるわけじゃないし、じゃあその子達が受かりました、落ちましたってなったときに、自分はどうするんだろう? どう、そこに立ち会うんだろうと思ってて。それを毎回、毎回、何人もと一緒に涙を流すのか、そんなことできるのかな自分は? 「今回は残念だったね、また頑張ろうね」とか、「今回は高3で最後だったけど、また違う道があるよ」とかさらっと投げるのか、どちらもできない気がして。

城咲:わたしは受かったから、落ちた人の気持ちは分からないですけど、でも、自分が人生でいろいろ経験して、15才から18才の間に、そこで人生分かれ目だけど、きっとダメだった人は違う道で輝ける道が絶対あるって、わたしは思ってるんですけど。でも、それって何年かしてからじゃないと感じられないことで、そのときはすごく大きな岐路だと思うから、その人生の岐路に立ち会う責任というか、覚悟が持てなくて。だから受験生はやらないって決めてたんですけど、ちょいちょい声をかけていただいていたスクールに、講師で踊りを教えに行ってくれないかって言われて、一回、行ってみたんですよ。人の代講で行ったんですけど、そのときに、あまりにも出来が悪くて、教えに行った子達が。出来が悪いというか、覚悟が無さ過ぎて、考え方が甘過ぎて……。

――:受検に関する考えが……ですか?

城咲:そう。あれ、わたしこんな風だったっけ?って思ったら、いや、違うって思ったんですよ。で、そのときに、めちゃくちゃ怒ってきたんですけど、これじゃダメだって思って。こんな甘っちょろい子達がみんな受けに来て、甘っちょろい子達が入ってきたら、これからの宝塚がどんどんダメになるって思って。……だからわたしがってわけではないんですけど、そんな甘い世界じゃないよって思って。そんな覚悟で人の前に出ようなんて、そのことがちょっと許せなくて。それからなんか分からないんですけど、だんだん言うようになって。しかも教えだすと愛情が湧くし、言ったら言ったで返ってくる。返ってこない子もいるけど、みんな頑張るし、少しでも良くしてあげたい、受からせてあげたいって……、そんなこんなで今、続いてるんですよね。

城咲:自分がやってきたことだから、外の世界とはちょっと違って、バレリーナは必要ないし、オペラ歌手は必要ないし、宝塚の中で映える踊り、人を惹きつける居方[注:その場における佇まいや立ち居振る舞い]とか、そういうのは、あの世界の中にいた人の方が分かるって思うんですよ。たとえば、外からいろんな物を取りこんで自分で昇華してやるんだったら良いんですけど、一番、いた人間の方が分かるんじゃないかなって思って、自分に何かできるんだったらやろうって思って、それで続いてるんです。

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