城咲あい:
「ダンサーとしての生き方」

あのとき言われたことは全部、役立っているんだな

――合格された音楽学校で過ごした2年間は、どのような世界でしたか?

城咲:全てがカルチャーショックで、親元を離れたのも初めてでしたし、スキー合宿とか、子供の頃に行ったりもしたんですけど、長い間、親から離れることもなかったし、友達と長い期間どこかに行くわけじゃなくて、みんながはじめましての状態で集まって、共同生活をして一日一緒にいて、全国から本当に沖縄から北海道までみんな来るし、生活習慣も違うし、それにまず、同期が集まったときに、わたしは小学校から学校がそのままエスカレーターだったので、はじめましての人達といきなり同じ部屋に詰め込まれた……みたいな。その中で人間関係を築いていくって、まだ15歳だったので、難しいなって感じていて。

城咲:でもみんな、目標もあるし、同じ思いで集まった人達だから、打ち解けていったんですけど、人とそんなに密に――ふだんお手洗いに入っているとき以外は、ずっと一緒だから、そんな生活も初めてで、最初はびっくりしたし。あと、音楽学校は机に向かう授業もあるんですよ。楽典とか音楽論とか演劇論とか、そういう授業以外は全部、歌。一時間目がバレエ、二時間目が歌、三時間目がモダンダンスで四時間目が日本舞踊とか。で、すごい体力が要って、最初、体力が全然続かなくて、そんなに一日中踊り続けたことがなかったから、体力的にしんどかったですね。でもだんだん慣れるし、何だろう……あと、音楽学校は厳しいってみんな言いますけど、今思うと本当に、すごく小さな決まりごとがたくさんあったりして、そのことに対していっぱい注意されたりするんですよ。

城咲:たとえば、人と人との間を通るときに「前を失礼します」って、立ってる人よりも目線を下げて通るだとか、そういう細かいこと。上級生が何かをしてたら、たとえばゴミを片付けてたら、「わたしが捨てますから」って言って片付けるだとか。それぞれはすごく小さなことだけど、今までそんなに人に気を遣ったこともなかったし、みんなまた子供だし、それにけっこうビックリして。あと、同期が上級生に失礼なことをしたら、それをみんな同期に言うんですよ、「わたし今日、こんなことした」って。で、そのやっちゃた子じゃない子が、今日、何があったかとか、聞かれたりするんですよ。

城咲:そのときは、何でそんなことするのかな?って分からなかったんですけど、だんだんと分かってくるようになりました。たとえば、劇団に入ったときに、1カ月公演って体力的には厳しいので、けっこう倒れる人が多いんですね。それが「開演の30分前に倒れました」とか、どうかすると「プロローグに出て二場までの間に倒れました、もう出れない」ってなったりする。そんなときに、「次の場面はとりあえずあの子を出そう、新人公演でやった子を出そう、その次の場面は踊りが端っこのほうだから、ちょっと詰めよう」とかって言うのを、みんなでその場で考えて、それを公演している最中に全員で伝えるんですよね。早変わりしながら隣の子に「伝えて、伝えて」って。「わたし次、上手(かみて)にまわるんで、上手に伝えておきます」っていう連絡がすごく速い。宝塚って、プロローグで人が倒れたら、三場のときにはみんな知ってる感じなんです。

――:組全体の80人がですか?

城咲:全員が知ってるんです。そういう伝達の速さとかが、そういうところから来ているんだろうなというふうに色々と考えていくと、やっぱり、あのときに言われたことは全部、舞台に役立っているんだなとすごく思いましたね。

――:宝塚に在籍していた時間はどのような時間でしたか?

城咲:辞めた後に思うことってこと?

――:それもですが、在団中と辞めた後に感じたことも聞かせてもらえますか?

城咲:もうわたし、宝塚にいるときは、人生の全てを懸けていると思っていて、命を懸けて舞台に立つ覚悟でずっといて、だから辞めると決めたときって、まだ26才くらいだったんですけど、あとは余生みたいな感じのイメージだったんです。もうこれで自分の人生が終わるって言うくらいの気持ちでいたというか。そうですね、舞台に立っていたときは、自分の身体、頭の先からつま先まで、全部がやっぱり宝塚のことでした。趣味らしい趣味も他になかったし、何かをやるってなったときに、じゃあ本を読みますとなったら絶対、舞台に繋げていくためだったし、すべてがそのために生きていたし。でも、あれだけ夢中になれることって自分の中にはなかったっていうか……、他の世界に行って、他の仕事をしていたら、あんなに夢中になれなかったんじゃないかなって思うし。

城咲:いま、同じくらいの年の人とか世間の人が、どんな目標を持ってどんなことをやっているのかは人によりけりだし、わからないけど、あんなに命を懸けられる時間を過ごせたことは、もしかしたら一生なく終わる人もいるかもしれないし、そう思うと、すごく密で良い時間を過ごせたと思いますね。自分の人生が、80才まで生きるのか、90才まで生きるのかだとして、その中からしたら、舞台の人生が10年、音楽学校を入れて12年。すごく短い時間だけど、すごく濃ゆい時間だったなって思います。

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