Brian The Sun:「彼女はゼロフィリア」発売記念インタビュー

 多くの若手人気ロックメジャーバンドを輩出する「閃光ライオット」の初代準グランプリという輝かしい経歴を持ちながら、現在に至るまでインディーズでの活動を続けるBrian the Sun。今回のインタビューから、彼らのインディーズの可能性を模索する姿勢と、バンド本来の変わらぬ強さを信じる態度が感じられると思う。激動の2013年を終え、2014年3月にはミニアルバムもリリースする彼らのこれまでの活動と、アルバムを通して今伝えたいメッセージについて、作詞/作曲を担当する森良太と、彼とともに結成からのメンバーであるベースの白山治輝に聞いた。

2014年2月

取材・文:藤木涼介 協力:石川愛美

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  • Brian the sun…2007年5月、vo.&gt.森を中心に同じ高校の軽音部だったBa.白山とバンドを結成。2008年夏には当時のメンバーで閃光ライオット2008、準グランプリを獲得。2010年1月Gt.小川が加入、秋にDr.田中をサポートドラマー として迎え、2011年4月に正式加入し、現在のメンバーとなる。2014年3月12日、ミニアルバム『彼女はゼロフィリア』をリリース。 気鋭の映像ディレクター斎藤渉監督が「彼女はゼロフィリア」のPV制作を担当している。
    (写真下段右から森良太 [vo./gt.]・白山治輝 [ba./cho]、上段右から田中駿汰 [Dr./cho.]、小川真司 [gt./cho.])

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2014.03.12 Release New mini album
¥1,500(without tax)『彼女はゼロフィリア』

閃光ライオットに至るまで

――:閃光ライオット出身ということで、そのお話も聞かせていただきたいのですが、まずはそこに至るまでのお話をお願いします。

白山(以下s):俺と森が同じ高校に入学する訳ですよ。はじまりは、同じクラスだったから。同じクラスじゃなかったら、バンドはなかった。俺、中学まで野球やってたから、高校1年生の4月に一週間体験入部みたいなんがあって、入部しなくてもいろんな部活が見れるみたいなのがあったから、俺は野球部に2回練習いってるんですよ。2回練習いった後に、この高校はレベルが低すぎる、こんなんじゃあかんとなって。で、そこで野球への未練が断ち切れたんですよ。

森(以下m):まあ、それを言わせてもらうと俺はですね、ずっと柔道をやってて。で、柔道の体験入部に何回か行って。で、まあその未練も断ち切れ、諦めたと。

s:多分2人ともそうやねんけど、中学時代に柔道やったらオリンピック選手とか、野球やったらプロ野球選手とかになるようなやつと戦って、負けて、「あ、自分はそこには行けないなと」いうある程度の諦めがあって、公立高校に行ってるから、そこでもう一個さらに挫折があって。上と下を見てるからっていうのもあるから、そういう奇跡で、同じ軽音楽部に入部するっていうことですよね。

m:ほんで、行ってた高校が公立高校やったんやけど、大阪の中でも音楽科がある学校で、文化的なところに割と力を注いでる学校で。その軽音楽部があるっていうのも知ってて入学しましたし、どこかでバンドをやりたいとは思ってたから。

コピーすらできないからオリジナルをはじめた

――:それまで弾き語り中心に活動していたけれど、バンドへの憧れのようなものが?

m:そういうのが当時からありまして、それで治輝と出会ってバンド組むことになりまして。

s:そこからを簡単にいうと、単純に良太以外はみんな初心者で、下手すぎてコピーすらできないからオリジナルをやって。

m:すごい開き直りですよね。

s:普通はコピーができるようになってからオリジナルやるんやと思うけど。

――:できないから、できることだけでなんとかやろうと。

s:できへんのは当たり前やから、っていう。

m:そんで、バンドやってる途中も治輝はずっと「野外フェスに出たい。」っていうのをずっと言ってて。高校卒業までにフェスに出たい!と。

s:本当は高三の終わりにフェスに出て、思い出音源作って解散、っていうスケジュールを立てて、その計画の中にフェスに出たいっていうのが入ってた訳なんですよ。でも実際高校三年になってすぐ、メンバーの受験とかで活動休止してたんやけど、ある日家に帰ったら、ソニーミュージックから閃光ライオットの審査通過の封筒が届いてて。で、「せっかくやし、出てみようか」ってことになって、練習を再開したんですよね。

m:スタジオにも入ってね。当時から、どういう動き方をすれば、こういう結果がついてくるっていうのを考えながら行動していたから、そういう意味では、昔から若干プロ思考だったのかもしれないですね。スケジュール管理であったり、ライヴハウスのノルマを自腹きらないように考えてやったり、CDリリースのタイミングを考えたりっていうのを、昔から治輝を中心に自分たちで考えてやってましたね。

――:当時のライブの本数などは。

s:高校のときは月1、2本やってましたね。高校生なのに平日のブッキングに出てたり、制服のままリハしにライヴハウス行ったりしてましたね。多分他にもそういう活動をしてる同い年くらいのバンドは山ほどいたと思うんですよ。そんな中で、閃光ライオットというイベントに出会うわけです。

m:閃光ライオットがこの世に生まれてから、若い奴らの音楽活動に対する意識が変わったと思う。そういう場所があることによって、そこに向けて何かやっていく上で、どういう動きをするのがいいかとか意識するようになったような。それで、閃光ライオットをきっかけに大人やレーベルの見方も変わってきたし、若者の音楽について考えるようになったと俺らから見て思う。大手レーベルがついてることによって、デビューっていうのが少し見えてきて、人生をかけていくための知識とか警戒心とかあきらかに閃光ライオット以前と以降で違うなぁ。

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